楽感旅日記

2017年11月20日 (月)

秋の金沢・能登の旅11 能登の風光と最後のランチ

この「秋の金沢・能登の旅」シリーズも、今回で11回目。わずか4日間の旅なのに、よく続いたものだ。最終回は、能登路観光と能登グルメ。

9日の朝、金沢駅前で借りたレンタカーで向かった能登の西側には、「のと里山海道」が走っている。有料道路かと思っていたが、Google Mapで経路検索をしたら、通行料金が0円と表示されていた。2014年3月末日から無料開放されたということだ。(それ以前は、1180円)。何やら、得をした気分になる。

金沢から30分ほど走ると、「なぎさドライブウェイ」がある。ここは、日本で唯一、海岸を車で走ることができる8kmほどの公道である。海が荒れていると走行禁止になるが、この日はさほど荒れておらず、渚ドライブを楽しむことができた。

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(停車中の車内から)

温暖な日であれば、車の窓を全開にして、潮風を浴びながら快適なドライブを楽しめただろうが、ちょっと寒いので、少しだけ潮風を浴びながら、安全運転で。

翌日の最終日は、「白米(しらよね)の千枚田」へ。ここは、どうしてもカメラに収めたかったスポットだ。

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イメージしていた写真の出来栄えとは、かなりのギャップがあった。まず、稲の刈り入れが済んでおり、稲穂が風景に彩りを添えることができなかったこと。海の色が若干くすんでいたこと。夕陽や朝の霧が入っていたら申し分なかったが、時間的に無理である。そんなことより、撮影スキルの問題かな?

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と、半ば残念な気持ちを抱いたまま、車は、「ヤセの断崖」へ。

と、その途中、思いがけず、「棚田」の看板を目にした。期待を胸に、棚田の駐車場に車を停めた。展望台があるというので、そこに立った。

すると、目の前に広がったのは、、、、、

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のどかな里山の風景。棚田というより、段々田んぼ。失望感はさらに増したが、やせ我慢をしてハンドルを握っていると、「ヤセの断崖」の看板。

ここは、松本清張の「ゼロの焦点」の舞台になり、ヒロインが最後にこの断崖から飛び降りるというラストシーンで知られている。

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このような逆巻く波が岩を砕くように押し寄せている。飛び降りたら、死ぬことは必定。我々は飛び降りる気も全くないので、ヒロインの気持ちもわからずに、ランチへと向かったのであった。

レストランは、「てらおか風舎」。寺岡牧場が営む能登牛レストランである。周囲にめぼしい観光スポットやこれといった施設もない。田舎町という風情である。

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そんな立地にあるレストランが全国に知れ渡っているということだ。希少な能登牛を知り尽くしたオーナーが始めただけあって、著名人も数多く訪れている。もちろん、それにつられた我々無名人も。

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オーダーしたのは、ステーキ丼。

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多言を弄する必要はないだろう。旨い!美味い!ウマい!

「秋の金沢・能登の旅」年老いた夫婦は、最後の食事にも満足して、帰路についたのであった。しかし、よく食べた旅だった。

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2017年11月19日 (日)

秋の金沢・能登の旅10 金沢市内を巡る

秋の金沢・能登の旅。2日めは、前日に続いて金沢市内を観光。

朝食後に訪れたのは、「金沢老舗記念館」。中屋という薬種店の店舗をミュージアムにし、往時の老舗の暮らしぶりを展示したものだ。

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薬種店の帳場。

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加賀名産の水引。

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手鞠。これが、思っていたより高価だった。丁寧な手仕事が施されていることを考えると、当然だろう。

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花嫁のれん。

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2階には、老舗の屋号が書かれた提灯がずらり。それぞれの老舗が作った商品も展示されている。

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一世紀を超える歴史を持つ老舗企業が最も多いのは、日本だという。コツコツと仕事を続けることを得意とする農耕民族のなすわざなのだろうか。

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この「老舗記念館」の前の道路を挟んだ正面にあるのが、「前田土佐守家資料館」

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土佐守は、加賀百万石の祖・前田利家とその妻まつの次男である利政が家祖で、石高は一万石の大名だという。10代、およそ200年間続いた歴史の中で、残された文書や武具、書画を守ってきた。

それらの歴史資料には一見の価値があった。特に、利家の妻まつが残した消息(現代の手紙のようなもの)は、まつの教養や人柄が偲ばれる貴重な歴史的遺産だった。

金沢は、狭い街だという。自転車を使えば、10分ほどで主な場所に行き来できると「割烹いけ森」の店主から聞いたが、市内を巡ってみて、それを実感した。次に訪れた武家屋敷までは、歩いて10分もかからない。

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戦災に遭わず、また、偏った開発の波を受けずに、こうした歴史が脈々として残されている。


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次に訪れたのは、「鈴木大拙館」。高名な仏教哲学者の思想や足跡を伝えるために、2011年、出身地である金沢に建設された。

我ら夫婦は、仏教哲学にはあまり触れることなく、「水鏡の庭」にて、しばし哲学的雰囲気に浸った。

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この「庭」が目に飛び込んできた瞬間、長野市の「東山魁夷美術館」を想起した。それもそのはず、設計を手掛けたのは、両方とも谷口吉生氏だという。

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(借用)

外人女性が、一人、座禅を組み、瞑想にふけっている。(赤いウェアの方)
悟りが開けてのだろうか。

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悟りの開けない我々は、その後、歩いての市内散策。紅葉・黄葉が美しい。

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石川四高(現在の金沢大学)記念館周辺。


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ベンチに座っている年配男性の手には、文庫本、ではなく、スマートホン。歴史ある金沢にもICTが普及している。


ここ金沢は、会社時代の同期であるA君が店長として初めて赴任したところである。彼にも、きっといい思い出として残っていることだろう。

金沢。落ち着いた、いい街である。

(まだ続く)

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2017年11月18日 (土)

秋の金沢・能登の旅9 茶屋街歩き

兼六園、金沢城を回った後は、昔ながらの佇まいが残る茶屋街を巡った。

主計(かずえ)町は、浅野川沿いにあるこじんまりとした茶屋街。小路を歩いていると、どこからか三味線の音が聞こえてきそうな風情が漂っている。

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紅柄(べんがら)塗りの料理屋などが立ち並ぶ。


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こちらは、最初に妻がチョイスした「木津屋」という旅館。部屋数が少なく、予約ができなかった。

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主計町の茶屋街を抜けると、「梅の橋」が見える。

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この橋に立って、浅野川の上流を見ると、アーチが連なる「浅野川大橋」が桜の紅葉越しに望める。

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主計町を抜け、ひがし茶屋街に向かう。浅野川大橋のたもとに、古い商家が並んでいる。

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ひがし茶屋街は、多くの観光客で賑わっていた。団体客の多くは、声量の豊かな、あの国の方々だが、白人系の観光客のほとんどは個人旅行のようだ。

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ここには、往時の茶屋の様子が見学できる施設(建物)がある。

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戦前までは、旦那衆のお遊びが盛んに行われていたのだろう。それも今では、「文化遺産」的な存在になってしまったのかもしれない。時代の流れと共に、芸とか、粋といったものが片隅に追いやられ、“お大尽の遊び”の場は、高級クラブやバー、ゴルフにその座を譲ることに。

さて、今の時代、そんな遊び場は、どこになるのだろう。
「ま、どこにしても、自分には関係ないな」と思いつつ、茶屋街を後にしたのであった。

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2017年11月17日 (金)

秋の金沢・能登の旅8 兼六園・金沢城

今回の旅の観光地で最初に向かったのが、兼六園。

日本三大庭園の一つとされる名園である。元々は、前田家に功労のあった7人の老臣の屋敷があったが、その後、220もの部屋を有する前田家の別邸が建てられたり、庭園としての体裁が整えられていき、現在の姿になったという。

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初の自撮り写真!(影のみですが)

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見どころというか、観光客の人気スポットは、何といっても「唐崎の松」だろう。

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雪吊りは11月1日から始められており、すでに冬支度が整っていた。

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老木と苔が織りなす風景は雅びだ。

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兼六園の後は、道路を隔てた金沢城へ。

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城と言えば天守閣が付き物ではあるが、ここ金沢城は平山城であるので、天守閣はない。

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とは言え、敷地は広大で城内に点在する建築物は、かつて百万石を誇った財力を忍ばせるものがある。

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橋爪門は近年再現されたという。柱や梁はすべて国内産の木材を使用し、釘は1本も使わず、日本建築の粋ともいえる仕口・継手で組み立てられている。一本柱の梁を始め、その構えはとても豪壮である。

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城には詳しくないが、五十間長屋や三十間長屋は、他に類を見ないのでは。

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(五十間長屋)


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(三十間長屋)

しばし加賀百万石の栄華に浸り、次に向かったのは、主計町とひがし茶屋町。(続く)

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2017年11月16日 (木)

秋の金沢・能登の旅7 無名塾公演「肝っ玉おっ母と子供たちを鑑賞

9日は、この旅の主目的の一つである無名塾のロングラン公演「肝っ玉おっ母と子供たち」を鑑賞。

和倉温泉から車で30分ほどの中島という町に向かった。何の変哲もない小さな町だが、この町を一躍有名にしたのは、無名塾を運営する仲代達也さんと宮崎恭子夫妻がこの地を稽古場として使うようになり、公演が開催され、やがて演劇堂の建設へと進んでいったことだった。

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金沢市から2時間、東京から新幹線だけでも最短で2時間半もかかる辺鄙な田舎町で、芸術が花開いたのは、仲代夫妻の思い入れと街の人びとの熱意が実ったからだろう。

仲代夫妻は、初めて訪れた中島町を大変気に入り、「こんな所で芝居の稽古ができたらなあ、、、、」という一言を発したという。それがきっかけになって、以来、32年もの間、無名塾の稽古や公演が続いている。

北陸の片田舎から、日本を代表する劇団の芸術を発信する。町の人たちも大きな誇りを持っているに違いない。多くのボランティアが演劇堂の内外で胸を張って仕事に励む姿があった。

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今年の出し物である肝っ玉おっ母と子供たちは、ブレヒトの原作で、17世紀のヨーロッパにおける宗教戦争が舞台。父親がそれぞれ異なる男二人と女一人の子供を引き連れて、手押し車を引いて商いを続けながら戦地を巡り、戦争に一生を振り回されるという物語である。

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随所に、戦争が不幸や悲惨を無辜の人々にもたらすことが語られる。おっ母も、愛する三人の子供たちを次々に亡くし、失意にくれながら車を引くところで、舞台は暗転して幕が降りる。その時、我々夫婦の頬は涙に濡れていた。

そして、嵐のような拍手が劇場内に鳴り響く中、カーテンコールとなった。幕が上がると、舞台上には今は亡き宮崎恭子さんの遺影が吊らされている。それが目に入ると、再び涙が頬を伝わった。

この劇場は、ステージの裏が大きな扉で開閉できるようになっており、なだらかな裏山が舞台の一部として使われる。

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オープニングは、その裏山からおっ母と子供たちが舞台に向かってくる場面から始まる。そして、ラストの20分は自然と一体になったステージで演技が繰り広げられる。

そんな演出も、見る人の感動をより一層高める。本当に素晴らしい舞台だった。

わざわざ、能登の田舎町まで出かけて鑑賞する価値があった。

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2017年11月15日 (水)

秋の金沢・能登の旅6 能登スイーツ&能登寿司

和倉温泉の宿「のと楽」にチェックインする前に、七尾市が生んだ名パティシエ辻口博啓氏のお店「ル・ミュゼ・ドゥ・アッシュ」でティータイムを過ごした。

眼前に七尾湾が広がる絶景が楽しめる。

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これは、辻口氏がメレンゲで描いたという龍の絵。絵心がないと、優れたパティシエにはなれない。辻口氏は、様々な機会を設け、弟子たちのスキルを高めているという。

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私がオーダーしたのは、辻口シュー。皮がクッキーのような噛みごたえと食感を備えている。(200円)妻は、シュークリーム2.5個分の値段のモンブランをオーダー。

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この後、この日の宿である「のと楽」に手荷物を預け、昼食に。妻が選んでいたのは、「能登すしの庄 信寿司し」。

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良く手入れされた庭園を囲んで能登の寿司を食すことができる。

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オーダーしたのは、「お任せ9貫」。能登の主な寿司店の共同企画だそうだ。

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汁物やデザートはつかない。能登の地魚を使った寿司だけを味わうには、これで良かった。精選されたネタを満喫し、いよいよ、旅のクライマックスである無名塾の公演「肝っ玉おっ母と子供たち」を鑑賞するために、中島町へと車を向けた。

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2017年11月14日 (火)

秋の金沢・能登の旅5  旅の宿

今回の旅で利用した宿は、1・2泊が金沢市きっての繁華街・香林坊にある東急ホテル。どこへ行くにも、便利なロケーションにある。

目抜き通りは、イルミネーションが路上を照らしている。

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東急ホテルは、「一休」を通じて予約したため、宿泊費は半額程度になった。予約された部屋タイプは喫煙ルームだったが、チェックインの際、ラッキーなことに受付で禁煙ルームに変更してもらった。部屋の広さは、まずまず。

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部屋に入ろうとすると、向かいの部屋から甲高い話声が。訪日観光客数でトップを走る、あのお国からの方々だ。やれやれ、多少は我慢しなければ、と覚悟をしていたが、気になったのはその時だけ。2日間は快適にホテルライフを満喫できた。

ここでの食事は、朝食のみ。1日目は洋食バイキング、2日目は和食をチョイスした。

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(和食会場)

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和倉温泉に宿を取った3泊目は、のと楽という温泉旅館。プロが選ぶ日本の宿百選に選ばれたそうだ。

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温泉地の大型旅館といえば、団体さん。館内には、後期高齢者と思しき一団が目立った。声が大きく、なかなか元気だ。いい老後を送っている方々なのだろうけれど、団体旅行を好まない我ら夫婦には、無縁の風景だろう。

この旅館は、団体旅行華やかなりし頃の設えが色濃く残っている。広いロビー、高い吹き抜け、館内を流れる人工の川、たくさんの土産物が並ぶショップ。カラオケルームなどなど。

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そんな風景に、何故か、郷愁を感じた。

通された部屋は、11階。窓を開ければ、七尾湾が眼下に展開する。遠くに能登島大橋を望む風光明媚な部屋だった。

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さて、ここでの夕食は、レストランスタイル+バイキングという変則的なスタイルで、レストランスタイルの方は、和洋折衷で、刺身盛合せ、鰤のワイン蒸し、そしてメインは事前に肉か魚かを選ぶことができる。

味はといえば、「割烹「いけ森」、「料亭山乃尾」の後なので、多少の落差は止むを得ない。

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我ら夫婦は、妻のご要望により、ステーキを。
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次の日の朝食は、バイキング。洋食を選んだのだが、笹カレイの干物が美味そうだったので、トレーに乗せた。

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これが失敗。やはり、干物は温かくなければ、うまくはない。

小さな不満はあったものの、今回の宿は総じてまずまずだった。

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2017年11月13日 (月)

秋の金沢・能登の旅4 金沢おでん

金沢2日目の夕食は、おでん居酒屋の赤玉本店。

東急ホテルから歩いて数分。ちょっと雨がぱらついたが、店に向かうころには傘を持たずに済んだ。4日間の旅程の中で、雨を見たのは、この時だけだった。

店の前に到着すると、若い人たちが十人ほど行列を作っていた。こちらは予約を入れていたので、すぐさま座敷に通された。最初の注文は、妻にお任せ。まずは、ビールで牛筋の煮込みに乾杯。

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金沢おでんとは、いかなる味か。興味を持って口に放り込んだ。しかし、どこか格別な味わいがあるとは言えない。ネットで調べてみると、金沢は全国一おでんが食べられるという。

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変わり種もあるようだが、この日頼んだのは、ポピュラーなネタばかり。ということで、さほどの感動も感激もなかった金沢おでんであった。こちらの知識不足かもしれない。

金沢おでんをこよなく愛する人びとに申し訳ない気持ちを抱いてしまった夕餉だった。

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2017年11月12日 (日)

秋の金沢・能登の旅3 料亭山乃尾でランチ

金沢・能登の旅2日目の昼食は、料亭山乃尾にて。

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ひがし茶屋街の上の高台にあり、金沢市内が一望できるロケーションである。

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創業は、明治23年という格式高い老舗料亭で、稀代の美食家と言われた北大路魯山人も通ったという。玄関の座敷には、魯山人作の陶器の数々が陳列されてある。

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ゆるいスロープを登ると、大きな暖簾が出迎えてくれた。

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名前を告げると、美しい庭園を抜けて案内された部屋は離れだった。先客がひと組。年配の夫婦だった。こちらも同じだろうが、つい、相手を年上に見てしまう。高齢者に対する敬意の表れである。

部屋の設えは、紅殻の壁、真っ直ぐな百日紅の床柱。

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桜の木が天井の飾り格子として使われている。

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部屋の隅には輪島塗りの箪笥。

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窓の外には、南洋材のヒョンの大木がこの料亭の歴史の証人であるかのように聳え立っている。

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その昔は、茶屋街から芸妓を呼んで、夜な夜な旦那衆の宴会が繰り広げられたのだろう。今では、そうした高級料亭を支える旦那衆はいない。経営は左前になり、存続が危ぶまれた時があったそうだ。

その危機を救ったのが、今の女将。ランチなど、老舗料亭の沽券を潰す。そんな周囲の反対を押し切って始めたメニューが、これだ。

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全15品。一口ずつだが、金沢料理の粋を集めたものと言ってもいいだろう。フランス料理てま言うところのシェフ?だ。

これによって、女性などの客層が拡大し、客数が増大。この日の客数は、およそ60名だとか。女の発想を侮るなかれだ。

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この料理に加え、今や走りの香箱蟹の炊き込みご飯。

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一人当たり茶碗3杯。アフター写真は、これ。

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我ら夫婦の健啖家ぶりがわかるだろう。

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食後は、しばし庭園を愛でた。

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食欲を満たすという人間の最も基本的な欲求を満たした後は、人間としての最も崇高と言ってもいい哲学的欲求を満たすべく、鈴木大拙館へと向かった。

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2017年11月11日 (土)

秋の金沢・能登の旅2 割烹いけ森

金沢一日めの夕食は、「割烹いけ森」で。妻の“命令”の下、ネット予約した店である。

家庭画報で2回取り上げられたという。それだけでも、実力のほどが知れるだろう。東急ホテルから歩いて7分ほどの繁華街のエリア外にあった。

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カウンターは、わずか4席。それに8人ほどの座敷。オーナーである包丁人一人で切り盛りするには、精一杯の席数かもしれない。家庭画報も推す割烹である。一人で目の行き届くギリギリのところなのだろう。

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一品目はゴマ豆腐、蓮根と雲丹。胃にやさしい美味が嬉しい。

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次のお造りは、金沢港に揚がったブリ、ボタン海老、クエ。ブリは、山葵ではなく、辛味大根で。

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塩(右下)は、能登の海で採れたもの。海草をすりつぶしたものと焼いて。やや辛いがミネラルが豊富で舌にやさしい。

三品目は、アワビ筍、甘鯛、ムカゴの真丈の吸物を輪島塗の椀で。出汁の上品さが堪らない。

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蓋の裏側にも秋の風情が漂う。


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本日の主役・香箱蟹はジュレでいただく。

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内子の食感が、何とも心地よい!

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クワイのチップス、アワビ筍、コノワタの茶碗蒸し、鯖ずし、湯葉。柿の葉と銀杏の葉で秋が卓上に広がる。

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フグの白子と、フグの煮凍り。カラスミを添えて。

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栗のムースと水果子(柿、無花果、ブドウ)は、硝子の器で。

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香箱蟹の炊き込みご飯。

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お代わりしたことは言うまでもない(私は3杯、妻は?杯)

今宵の金沢飯を更に美味にした地酒は、黒帯、千枚田、加賀鳶。千枚田は、店主の出身地の蔵元が醸しているという。

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それにしても、これだけの品数が実に心地よいタイミングで供される。仕入れを始め、下ごしらえ、調理、盛り付けをわずか一人で切り盛りする。わずかの手抜きの後も見えない。一つ一つの料理が、凛として、かつ端然とした佇まいを見せている。

「大変ですね」と、店主に言うと、「ブラックですから」と苦笑いしていた。勘定の際に、女将さんに「ご主人の睡眠時間は3~4時間くらいでしょう」と尋ねると、「もう少し寝てますよ」と笑顔で答えてくれた。

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割烹いけ森。いい店であった。

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